戦争を経験した世代の人たちはモノがない時代を経験したので、モノを簡単に捨てることについて、もったいないと口にするのをよく耳にします。使えるモノでも簡単に捨てる事は確かにもったいなく、できることなら他に使ってくれる人がいるならば、譲ることで有効活用していってくれる方がいいことだと思います。
しかし、地方で大きな家で収納に使える空間が十分にある人ならまだしも、都内近郊で暮らしている人にとっては、誰か使ってくれる人が現れるまでしまっておくことも難しいと思います。
使えるモノを捨ててしまうことは善でもなく悪でもないと個人的には思います。個人にスピ的な観点では、他人からみれば使えるモノでも自分にとって活用できなくなったモノは、収納スペースを圧迫するだけなので、貰い手がいなければ捨ててしまうので良いと思います。
捨てたいけど捨てられないという人はモノへの愛着があるのかもしれないですから、取っておけるだけの収納スペースがあるなら取っておくのでいいでしょう。
僕は一時期、もったいないということでモノを持ち続けるのと、自分にとって有効活用できなくなったものは潔く捨ててしまうことはどちらがいいのか、お金を絡めて考えたことがありました。
使わないけどモノをとっておくというのは、「在庫」にあたり、在庫は費用です。在庫があるということはコストがかかるということなので、使わないモノが多くあればあるほど、コストがかかっているという捉え方ができると受け止めました。
そのため、モノを手放せば在庫がなくなるので、コストがかからないことになる。会計的に考えると、手放すことの方がいいということじゃないかと思い、それからはモノを捨てることに遠慮することがなくなりました。
また、モノが収まりきらなくなった家というのは、神様は好まないということもあります。神棚を飾って家を整然としている家に行くと、神様が守ってるのを感じます。明治神宮に行った時に感じるエネルギーに似たものを感じます。しかし、モノがあふれている家は、たとえ神棚を飾っていてもそのようなエネルギーを全然感じないのです。
僕のセンサーがもっと敏感になれば感じるのかもしれませんが、今のところはそのような違いを感じるのです。
もし、あなたがモノは大切に使うことを美徳とするならば、それでいいと思います。どんどん捨てて、身軽にシンプルにすることを美徳とするならば、それもそれでいいと思います。
ただし、前者の人も後者の人も、互いに対して否定することは良くないでしょう。たとえば、僕がモノを捨てられない人に対して、なぜ捨てるべきか・・・、神様がね・・・とか、コストがね・・・とか、そんなことを言ってもそこに価値観があるわけではないので、ピンとこないはずです。そして、自分が否定された気がして良い気持ちになるわけがありません。
結局、捨てる事が良いことか、悪いことかの答えはありませんが、僕はどんどん捨てて、身軽になりたい派の人ですw