頑張ればいいというものでもない

僕らが想像してるよりずっと大きなゴールを神様はセットしてる。神様が勝手にしたものでなく、僕らが生まれてくる前に光の世界で一緒に作ったゴール。僕らが産まれてくるのは、色々制約のあるこの世界で制約があるからこその不自由の中でしか得られない学びを経験して魂を磨いているの。制約とは、時間と、空間とか、場所とか。

時間という概念がなかったら、こうなりたい!て思った時にすぐになれちゃうでしょう?時間があるから努力を積み重ねてゆっくり進むし、歩む時間があるから、良いこともあれば、嫌なこともある。でもそういうのすべてを経験するから、素敵なことってどんなことかわかるんだよね。思った瞬間に手に入っちゃったら、良いことも嫌なことも経験できないから、素敵な事ってどんなことか気がつくことができないんだよ。誰かのお気遣いに感謝することすらも学べない。

後ろで見守ってくれている神様(神様という言い方にしておく)は、一緒に設定したゴールに向かっていけるように後ろから常にガイドをしてくれているの。メインになる神様一人と、その他に何人か。人によって人数は違うね。いろんなことができる人にはそれぞれが秀でている神様が後ろで背中を押してくれてます。

ゴールに到達するには、早ければいいというものではないんです。時々立ち止まって内省することも大事、病気になって寝込むことも大事。時々芸能人とか有名な人が大きな病気にかかってもうダメかもしれないってことがあるけど、持ちこたえて完全復帰することがあるでしょう?あれって、その経験がないとわからないから必要なイベントなの。もう自分はダメかもしれないって思うと、いろんなことを考えて、振り返るよね。その時、今までの人生を振り返って、あー、ほんとはこういうことがやりたかったんだ、そうすれば、どんなに多くの人の力になれるだろうって価値観がガラッとかわるんだ。

頑固な人とかは、余計大病にかかることがあると思う。周りが見えてないから、どれだけ周りの人に助けられて人は生きているかを知らなくてはならない。大病にかかって人生を振り返って初めてそれに気が付き、自分を変えたいって思えるんだよね。

人生全てで到達する予定だから慌てず今できる事を丁寧に全力でやるといつの間にかゴールには到達する。調子を崩して動けなくてもそれはそうならないと得られない学びの作法なの。