理解し合えない人との付き合い方

自分が良かれと信じていることと反対の意見や行動を取る人たちに対して、どう付き合っていくのが適切なのかずっと考えていた。いまやっていることが確実に正しいとは思わないが、自分なりに見つけた関わり方がいつの間にか自分のやり方になっている。

僕は自分と反対の意見や信念を持っている人にこちらの意見を理解してもらうのはとても難しいことで基本的に不可能だと思ってる。

でも、可能なケースはもちろんあって、相手が下記の状況にある場合等だ。

  • 自分と反対の意見について、自分の中に統合はできないけれども、そういう意見を持つ人がいることは理解できるし、その意見を尊重することも大切だと心に広くバッファーをもっている状態。
  •  強い信念を抱いていたが、病気や事故、大切な人との別れなど、精神的にも肉体的にも大きなダメージを受けることで、自分の価値観が大きく変わるタイミングにある時。

# もちろん、相手だけではなく、自分も上記で考え方が変わることもあるけど、今回のブログではそれは考慮しない。

人は自発的に変わろうという意思がない限りは、今現在の価値観を変えることはできない。人生経験豊富な人が客観的にみて、こうする方が正しいよと助言したところで変えられない。それは自分の価値観を変えるためのきっかけになるかもしれないけれど、言われたから変えるのではなく、自分で変わろうと判断したから変わる。自分で経験して失敗することで、『あ、これじゃダメなんだ、じゃ、変えよう』となって自発的に変化を受け入れるモードにならないと変われない。

『人は他人を変えられない』 という大前提を僕は大人になるまで理解できなかったので随分苦しんだ。それは自分が正しくて、相手が変わる必要があると偏った思考をしていたことも理由のひとつ。 # 今は、昔よりは多少柔軟だといいんだけどw

管理職をやってた時に、他責(何かあったら自分は悪くなく他の人が悪いという様)にしてばかりで仕事を引き受けようとしない人を自責(責任を自分のものとしてやろうという様)で捉えて動く人間になれるように変えようとした時があったが、達した結論はそんなことはムリで、やるならば相手が自分からやろう!という気になるまで待つか、そうなるように誘導する方法を見つけないと難しいということだった。

仕事であれば社内であっても最低限のビジネスマナーがあるので、お互いに大きな衝突にはなりにくい。もし衝突が感情的になってしまうほどならば、その人達は社会人として成熟していないだけなので相手を変える変えないの話の前に、そういう人は自身の成長に注目する必要がある。 しかし、これがプライベートになった場合はとてもつらい。人は物理的距離が近ければ近いほど、感情的になったり、遠慮がなくなったり、尊敬の念を忘れやすい。我が子のことを心配するあまり、親が子に対して自尊心が傷つくほど言ってしまうのとか。

立場によっていろいろだけど、わかりあえない相手とは必要最低限の交流だけにするのが一番ストレスもなく、トラブルも起こらないのではないかと思ってる。 どうしてもコミュニケーションを取らないといけない時は、感情を現すことなく、ポーズで良いから常に笑顔で声のトーンをあげ、良い印象をあたえる振る舞い方で要点をついた会話をする。それは結果的に相手と共有する時間が最低限に留めることができるから。メールやメッセンジャーならば、相手の誤解を招いたり、感情に触れるような言葉を使わないように慎重にすることかなと思ってる。

これをするとイエスマンとだけしか付き合わないのかってことになってくるかもしれないけど、完全に交流を遮断するわけではない。気が合う人としか付き合わないのは偏った見方しかできなくなりそうで問題ではないかと思う人もいるかもしれない。一昔前なら、そうだったかもしれないけど、時代が変わってきた気がする。一番大切なのは自分が気持ちよく付き合える人といることで、前向きな姿勢で清々しく時間を過ごすことが大切なんじゃないかなって思う。

頭で考えるより、直感的にココロが受け入れてる人と過ごす時間こそ、大切だって思う。 理解し合えない人を変えるために時間を費やすほど、人生は長くないと思うんだ。